はじめに
地域福祉の現場で重要な概念とされてきた「住民主体」と,近年「コミュニティソーシャルワーク」。私は、この二つを地域福祉推進のための車の両輪のように考えてきました。
住民主体は地域住民が自らの力で課題解決に取り組むことを重視し、コミュニティソーシャルワークは専門職が住民と協働して地域課題の解決を図るアプローチです。一見すると、両者は同じ方向を向いた概念のように思えます。
しかし、地域福祉実践を重ねる中で、私はこの二つの概念の間に潜在的な緊張関係があると考えるようになっています。そして、この緊張関係が現在の地域福祉実践における様々な問題の根源になっているのではないかと考えるようになりました。
地域福祉とコミュニティソーシャルワークの整理
そもそも地域福祉とは?
地域福祉とは、住民一人ひとりが地域社会の一員として、住み慣れた地域で自分らしく安心して生活できるよう、住民同士の支え合いや公的なサービスが一体となって課題解決を目指す取り組みです。
主な特徴
主体性: 行政だけでなく、地域住民やNPO、ボランティア団体、民間事業者など、多様な主体が協力して取り組むのが特徴です。
包括性: 子どもから高齢者、障がい者、生活困窮者など、特定の対象者だけでなく、地域に住むすべての人々の福祉を包括的に考えます。
個別課題の発見と解決: 個別の生活課題(孤立、貧困、虐待など)を地域全体で発見し、解決を目指します。
ニーズの把握: 行政や専門職が一方的にサービスを提供するのではなく、住民のニーズを丁寧に汲み取ることが重要です。
コミュニティソーシャルワーク
コミュニティソーシャルワーク(CSW)とは、地域福祉を推進するための専門的なアプローチの一つです。社会福祉士などの専門職が、地域に入り込み、住民や関係機関と連携しながら、地域の課題解決や住民の主体的な活動を支援します。
主な役割
つなぎ役: 地域の福祉課題を抱える個人と、地域の支援資源(ボランティア、NPO、専門機関など)をつなぐ役割を担います。
コーディネート: 既存のサービスでは解決できない複合的な課題に対し、多様な資源を組み合わせ、調整(コーディネート)します。
エンパワメント: 住民一人ひとりが持つ力を引き出し、自立した生活や主体的な活動ができるよう支援します。
ネットワーク形成: 地域住民、福祉サービス事業者、行政、企業など、様々な関係者をつなぐネットワークを構築・強化します。
地域福祉とコミュニティソーシャルワークの関係性
地域福祉は「住民が安心して暮らせる地域づくり」という目的であり、コミュニティソーシャルワークは、その目的を達成するための専門的な手法・手段です。
地域福祉が目指す「共生社会」を実現するためには、コミュニティソーシャルワークという専門的な支援が不可欠です。コミュニティソーシャルワーカーは、地域住民の力を引き出し、地域の資源を組織化することで、より効果的な地域福祉の実現に貢献します。
地域福祉の学術的変遷
地域福祉の概念は、戦後の社会福祉事業の発展とともに形成されました。
- 1950年代~1960年代(施設福祉中心時代): 戦後、日本の社会福祉は生活保護法や児童福祉法などの個別法を整備し、施設を中心とした福祉が主流でした。この時期の「地域」は、あくまで施設サービスを補完する役割として捉えられていました。
- 1970年代(在宅福祉の台頭): 高齢化が進み、施設に入居できない人々や、住み慣れた地域で生活したいというニーズが高まりました。これにより、在宅サービスを重視する「在宅福祉論」が登場しました。これは、地域福祉の概念が個別サービスから地域全体の支え合いへと広がる第一歩でした。
- 1990年代(社会福祉基礎構造改革): 1990年の「福祉関係八法改正」は、それまでの措置制度(行政がサービスを決める)から契約制度(利用者がサービスを選択する)への転換をもたらしました。この改革により、住民の主体性や民間事業者の役割が重視され、地域福祉の概念がより広範になりました。
- 2000年代以降(地域共生社会の推進): 2000年代に入ると、社会福祉法に「地域福祉の推進」が明記され、市町村による「地域福祉計画」策定が義務化されました。さらに、2016年の「ニッポン一億総活躍プラン」で掲げられた**「地域共生社会」の理念は、子どもから高齢者、障がい者まで、すべての住民を対象に、地域の課題を「我が事・丸ごと」として解決する包括的な支援体制の構築を目指すものです。これにより、地域福祉は単なる在宅支援ではなく、地域のネットワークを再構築する地域づくり**の側面を強く持つようになりました。
コミュニティソーシャルワークの学術的変遷
コミュニティソーシャルワーク(CSW)は、主に社会福祉協議会の事業や、福祉学の理論的探究を通して発展してきました。
- 黎明期(1950年代~): 戦後、アメリカから導入された**コミュニティ・オーガニゼーション(地域組織化活動)**が、社会福祉協議会で実践されるようになりました。この段階では、住民組織やボランティアを組織化し、地域課題の解決を図る手法として捉えられていました。
- 発展期(1970年代~1980年代): この時期には、福祉専門職が地域に入り込み、孤立する高齢者や障がい者を発見し、公的なサービスにつなぐ役割が重視されるようになりました。この活動は、後のCSWの原型となります。
- 定着期(1990年代以降): 社会福祉基礎構造改革や地域福祉計画の策定が進む中で、地域に埋もれた複合的な課題に対し、個別援助と地域援助を統合的に実践するコミュニティソーシャルワークの必要性が認識されました。特に、大橋謙策氏らの研究は、CSWを「個別課題を踏まえた地域支援」として定義し、その専門性を高める上で重要な役割を果たしました。
- 現在(多機能化): 現代のCSWは、単なる個別援助と地域援助の組み合わせにとどまらず、地域包括ケアシステムや重層的支援体制整備事業と連携し、より複雑化した地域の課題に対応する「つなぎ役」や「コーディネーター」として多機能な役割を担っています。
統合された現在の地域福祉の姿
これまでの地域福祉とコミュニティソーシャルワークの学術的な変遷を統合すると、現在の地域福祉は「地域共生社会」の実現を目的とし、コミュニティソーシャルワークをそのための不可欠な専門的アプローチとして位置づけている、と定義できます。
過去の変遷を経て、両者の関係はより密接で不可分なものとなりました。
- 目的としての地域福祉: 地域福祉は、かつてのような「施設か在宅か」といったサービス提供の議論を超え、「我が事・丸ごと」の理念に基づいた「地域共生社会」の実現という、より包括的かつ高次の目標を掲げています。これは、制度の狭間にいる人や、複数の課題を抱える人々(8050問題など)にも対応するため、住民一人ひとりの生活課題を地域全体で受け止め、解決していくことを目指します。
- 手段・方法としてのコミュニティソーシャルワーク: このような複雑な課題に対応するには、従来の縦割りサービスでは不十分です。そこで、コミュニティソーシャルワークが、地域福祉という目標を達成するための具体的な「羅針盤」として機能します。コミュニティソーシャルワーカーは、行政や専門職が一方的にサービスを提供するのではなく、以下の役割を担うことで地域福祉を推進します。
- 課題の「発見」と「つなぎ」: 表面化していない地域の孤立や複合的なニーズを掘り起こし、当事者と多様な地域資源(住民、ボランティア、NPOなど)を繋ぎます。
- 資源の「開発」と「コーディネート」: 既存のサービスに縛られず、地域の力を引き出しながら新たな資源を創出し、それらを複合的に組み合わせることで、個別のニーズに応じた支援をコーディネートします。
- 住民の「エンパワメント」: 支援を受ける側であった住民が、主体的な活動の担い手となり、地域づくりに参加できるよう、その力を引き出します。
このように、現在の地域福祉は、コミュニティソーシャルワーカーの専門的な働きかけによって、抽象的な「共生」の理念を具体的な「地域づくり」へと落とし込む、動的で実践的な概念へと変化しました。
実践現場で感じる違和感
地域福祉の現場では、以下のような場面に遭遇することがあります:
場面1:住民からの声 「専門職の方々はいろいろ提案してくれるけど、私たちが本当に困っていることとは少し違うような気がする」
場面2:専門職からの声 「住民に主体的に決めてもらいたいが、専門的な判断が必要な場合もある。どこまで住民の判断に委ねるべきか迷う」
場面3:会議での光景 住民と専門職が同じテーブルについているのに、なぜか議論がかみ合わない。住民は生活実感に基づいて話し、専門職は制度や理論に基づいて話している。
住民主体の意味:主体性とは「自分で決める立場」
ここで、「住民主体」という概念を正確に理解する必要があります。住民主体とは、単に「住民が中心となって活動すること」ではありません。
主体(Subject)vs 客体(Object)の概念
- 主体:自分で判断し、決定し、行動する立場
- 客体:他者によって判断され、決定され、使用される立場
哲学的には、主体性とは「自己の意志と責任において判断・決定・行動する能力と立場」を指します。
つまり、住民主体とは:
住民主体の定義: 住民が自らの意志に基づいて地域の課題を発見し、解決方法を判断・決定し、自らの責任において行動する状態
この定義に立つと、以下のような状況は住民主体とは言えません
- 専門職が設定した課題に住民が協力する
- 専門職が提案した解決方法を住民が実行する
- 専門職が決めた枠組みの中で住民が活動する
これらは、住民が「客体化」された状態、つまり専門職の政策実現のために「使用される立場」に置かれた状態です。
潜在的対立の構造
この主体性の観点から分析すると、住民主体とコミュニティソーシャルワークの間には、以下のような潜在的な対立構造があります。
課題発見における主体性の所在:(極端ですが・・・・)
- 住民主体:住民が生活実感から課題を発見し、定義する
- コミュニティソーシャルワーク(実践):専門職が理論的分析から課題を発見し、住民に説明する
解決方法における意思決定権の所在:(これも極端ではあります・・・)
- 住民主体:住民が自らの価値観と判断で解決方法を選択する
- コミュニティソーシャルワーク(実践):専門職が専門的知見に基づいて解決方法を提案し、住民に実行を求める
評価基準における判断権の所在:
- 住民主体:住民が自らの満足度や価値観で成果を評価する
- コミュニティソーシャルワーク(実践):専門職が専門的基準で成果を評価し、住民に報告する
専門職の位置づけにおける関係性:
- 住民主体:専門職は住民が求めた時に協力する「支援者」
- コミュニティソーシャルワーク(実践):専門職は住民と「協働」する「パートナー」
これらの違いは微細に見えますが、実際には主体性の所在をめぐる根本的な相違です。
なぜこれまで対立として認識されなかったのか
この潜在的な対立構造が見過ごされてきた理由はいくつか考えられます:
1. 共通目標の存在 両者とも「地域住民の福祉向上」という最終目標を共有しているため、根本的な対立があることに気づきにくい
2. 実践レベルでの混在 現実の地域福祉実践では、住民主体とコミュニティソーシャルワークが混在して行われることが多く、概念的な区別が曖昧
3. 政策的統合の影響 地域包括ケアや重層的支援体制整備事業などの政策が、両者を統合的に扱っているため、対立構造が見えにくい
4. 表面的な協調関係 住民と専門職が同じ場にいることが多く、表面的には協調しているように見える
5. 問題の個別化 うまくいかない場合も「個別の事情」として処理され、構造的な問題として認識されにくい
この対立構造が生む実践上の問題
問題の顕在化パターン
潜在的な対立構造は、以下のような形で実践上の問題として顕在化します:
パターン1:課題認識のズレ 専門職が「重要」と考える課題と、住民が「困っている」と感じる課題が一致しない
パターン2:解決方法の対立 同じ課題に対して、住民と専門職が全く異なるアプローチを提案する
パターン3:役割期待の相違 住民が専門職に期待する役割と、専門職が自分の役割として認識するものが食い違う
パターン4:評価基準の不一致 取り組みの「成功」をめぐって、住民と専門職の評価が分かれる
個別課題から地域課題への位相転換
この潜在的対立構造の中で、構造的な問題が個別課題から地域課題への位相転換における特異性です。
位相転換とは何か
「位相転換」とは、物理学の概念ですが、ここでは個人・家族レベルの課題が地域レベルの課題として再構成される過程を指します。この過程には特異な性質があります。
個別課題の特性:
- 具体的で生々しい体験
- 感情的な重みを持つ
- その人固有の文脈がある
- 解決への切実さがある
地域課題の特性:
- 抽象的で一般化された概念
- 客観的で理論的
- 政策的・制度的文脈で語られる
- 社会的意義が強調される
位相転換のプロセスとその問題
典型的な位相転換の流れ:
- 個別課題の発見
- 専門職が個別支援の中で課題を発見
- 例:「Aさんが認知症で一人暮らしが困難」
- 課題の抽象化
- 個別事例から一般的課題を抽出
- 例:「高齢者の孤立問題」「認知症支援体制の不備」
- 地域課題としての再構成
- 制度的・政策的文脈で課題を整理
- 例:「地域包括ケアシステム構築の必要性」
- 住民への提示
- 専門職が住民に地域課題として説明
- 例:「地域で認知症の方を支える体制づくりが必要」
この位相転換の根本的問題
問題1:住民主体性の剥奪
地域課題として再構成された時点で、住民は課題の「発見者」「定義者」「解決者」ではなく、専門職が設定した課題の「協力者」「実行者」になってしまいます:
- 主体的状態:「隣のおばあちゃんが心配だから、みんなで見守ろう」
- 客体的状態:「認知症高齢者支援が地域課題なので、見守り活動に協力してください」
前者では住民が自分の意志で判断・決定していますが、後者では専門職の判断に基づいて行動を求められています。
問題2:意思決定権の独占
位相転換により、以下の意思決定権が専門職に集中します:
- 課題設定権:「何が問題なのか」を決める権限
- 優先順位決定権:「どの課題が重要なのか」を決める権限
- 解決方法選択権:「どう解決するのか」を決める権限
- 評価基準設定権:「何をもって成功とするか」を決める権限
住民は、これらの決定された内容に「協力する」立場に置かれます。これは住民の客体化そのものです。
問題3:住民の「手段化」
この客体化のプロセスで、住民は課題解決のための「人的資源」として位置づけられます:
- 「住民パワーを活用しよう」
- 「住民の協力を得て事業を推進しよう」
- 「住民を巻き込んで活動を展開しよう」
このような表現に表れているように、住民は専門職や行政の目標達成のための「手段」として扱われています。これは住民主体の対極にある「住民客体化」です。
位相転換における住民の客体化メカニズム
この位相転換のプロセスで、住民主体性(自分で決める立場)から住民客体化(使われる立場)への転換が進行するメカニズムは以下の通りです:
段階1:課題発見権の専門職独占
- 「何が課題か」を決める権限が専門職に集中
- 住民は「課題を教えてもらう存在」(客体)になる
- 住民の主体的な課題発見が軽視される
段階2:課題定義権の専門職主導
- 住民が感じる困りごとが専門用語で再定義される
- 住民は「正しい課題理解を求められる存在」(客体)になる
- 住民自身の言葉での課題理解が否定される
段階3:解決方法決定権の専門職設定
- 「どう解決するか」の方法論も専門職が提案
- 住民は「協力を求められる存在」(客体)になる
- 住民独自の解決アイデアが専門的視点で修正される
段階4:評価基準設定権の専門職設定
- 「成功とは何か」の基準も専門職が設定
- 住民は「評価される存在」(客体)になる
- 住民自身の満足度より専門的成果指標が重視される
段階5:住民の手段化完成
- 住民は課題解決のための「人的資源」として完全に位置づけられる
- 「住民主体」が「住民活用」「住民動員」にすり替わる
- 住民は専門職・行政の政策実現の「道具」(客体)として機能
住民客体化の完成形: 住民が自分の意志で判断・決定・行動するのではなく、専門職が設定した枠組みの中で期待される役割を果たす存在になること
この問題への従来の対応とその限界
従来の対応1:住民参加の促進
- 会議に住民代表を参加させる
- 住民の意見を聞く機会を増やす
- 限界:課題設定は専門職主導のまま
従来の対応2:分かりやすい説明
- 専門用語を使わず、身近な言葉で説明
- 具体例を交えて地域課題を説明
- 限界:住民起点の課題発見にはならない
従来の対応3:住民の主体性尊重
- 住民の自主性を重んじる
- 押しつけがましくならないよう配慮
- 限界:専門職が設定した枠内での自主性にとどまる
解決に向けて必要なこと
この位相転換の問題を根本的に解決し、真の住民主体性(住民が自分で決める立場)を確保するためには
1. 住民起点の課題発見プロセスの確立 専門職主導の課題設定ではなく、住民自身が生活実感から課題を発見し、自分たちの言葉で定義するプロセスを重視する
2. 意思決定権の住民への回帰 課題設定、優先順位決定、解決方法選択、評価基準設定の各段階で、住民が主体的に判断・決定できる仕組みを構築する
3. 逆向きの位相転換の重視 「住民の困りごと→共通課題→地域での取り組み」という住民主体の流れを重視し、「個別ケース→専門的分析→地域課題→住民動員」という専門職主導の流れを修正する
4. 二重の課題設定システム 住民が主体的に取り組む「住民課題」と、専門職が対応する「制度・政策課題」を明確に区別し、前者の領域では住民の完全な主体性を保障する
5. 専門職の役割の再定義 専門職を「課題設定者・解決方法提案者・評価者」から「住民の課題発見・解決・評価プロセスの支援者」に転換する
6. 住民主体性の継続的保障 活動の展開過程で住民の主体性が失われていないかを継続的にチェックし、客体化の兆候があれば即座に修正するシステムを構築する
この問題の解決なくして、真の住民主体は実現できません。次に、制度理解の問題について見ていきましょう。
これまでの地域包括ケアに関する実践では、「専門職による介入→住民主体への移行」という段階的な発展モデルが主流でした。このモデルは以下のような段階を想定しています:
第1段階:専門職が地域の課題を発見し、支援を開始する 第2段階:専門職が住民に働きかけ、参加を促す 第3段階:住民の力が育つにつれて、専門職の関与を減らす 第4段階:最終的に住民主体の地域運営が実現する
このモデルは一見合理的に思えますが、実際の地域福祉実践には当てはまらないことが多いのです。
実践現場で見える矛盾
実際の地域を見ると、住民だけでは対応できない課題が常に存在します:
- 制度的課題:介護保険制度や生活保護制度など、専門的知識が必要な分野
- 専門的技術:アセスメント、カウンセリング、危機介入など
- 関係機関との調整:医療機関、教育機関、行政との連携
- 法的問題:権利擁護、成年後見、虐待対応など
これらの課題に対して、「住民主体だから専門職は関わらない」では、むしろ住民に過度な負担をかけることになります。一方、「専門職が全て担当する」では、住民の主体性が損なわれてしまいます。
制度理解の偏りが生む誤解
制度は本当に一方通行を指示しているのか?
地域包括ケアシステムや重層的支援体制整備事業などの制度が、「個別支援で発見された課題を地域支援に展開する」という一方通行のアプローチを推進しているとという文脈で書いてきました。しかし、実際に制度文書を詳しく検証してみると、以下のことがわかります
地域包括ケアシステムでは、「多職種の協働による個別ケースの支援を通じた地域支援ネットワークの構築」とされています。これは個別支援から地域支援への一方通行ではなく、個別支援を媒介とした相互作用を示しています。
重層的支援体制整備事業でも、「個別支援」と「地域福祉ネットワークの充実・強化」を並行して行うことが目的とされており、決して個別が先で地域が後という時系列ではありません。
なぜ一方通行として理解されるのか
それでは、なぜ多くの現場で一方通行として理解されてしまうのでしょうか。
1. 制度説明の単純化 制度導入時の説明で、理解しやすさを重視するあまり「まず個別から始めて、次に地域へ」という段階的説明がなされることが多いためです。
2. 評価指標の偏り 「個別ケースから発見された地域課題数」「個別支援をきっかけとした地域活動数」など、個別→地域の流れを測定する指標が中心となっているためです。
3. 専門職の経験パターン 多くのソーシャルワーカーが個別支援から経験を積み、その延長で地域支援に関わるという経歴パターンが一般的なためです。
4. 予算・事業の構造 個別支援事業の延長として地域支援を位置づける方が、予算確保や上司への説明がしやすいという実務的理由もあります。
コミュニティソーシャルワークの本来の理念
双方向性という本質
コミュニティソーシャルワークの理論を詳しく検討すると、本来は個別支援と地域支援が双方向に影響し合う関係として構想されていることがわかります。
地域から個別への流れ
- 住民の生活実感から地域課題を発見
- 地域の社会資源を個別支援に活用
- 地域の文化・価値観を個別支援に反映
- 住民のネットワークを個別支援のリソースとして活用
個別から地域への流れ
- 個別ケースから制度の課題を発見
- 個別支援の経験を地域支援の技法として応用
- 個別ケースの成功例を地域活動のモデルとして共有
- 個別ニーズの集積から地域ニーズを把握
この双方向性こそが、コミュニティソーシャルワークの本質なのです。
相互補完的関係としての理解
この視点に立つと、住民主体とコミュニティソーシャルワークは対立するものではなく、相互補完的な関係として理解できます。
それぞれの強みと役割の整理
住民主体には、フォーマルな制度サービスにはない独自の価値があります
1. 自己決定に基づく当事者性
- 実際にその地域で生活し、自らの意志で関わり続ける体験知
- 地域の歴史や文化への深い理解と愛着
- 日常生活の中で感じる課題への切実な関心
2. 継続的な自己責任性
- 転勤や人事異動がない長期的関与
- 自分たちで決めたことへの責任感
- 世代を超えた地域との関係への責任
3. 創造的な自己実現性
- 制度の枠にとらわれない自由な発想
- 状況に応じた柔軟で創造的な対応
- 住民独自の資源発見と活用方法
4. 相互的な関係性
- 近隣住民との日常的で対等な関係
- 同じ立場の人同士の水平的ネットワーク
- 互いの主体性を尊重し合う関係
住民主体の役割と機能
住民主体性(自分で決める立場)に基づいて、住民は以下のような固有の役割を果たします
自律的発見者としての役割
- 地域の困りごとを自分たちの感覚で発見
- 制度では見落とされがちな課題を当事者として把握
- 住民目線での課題の意味づけと優先順位の決定
自主的実践者としての役割
- 自分たちで決めた方法による互助・共助の実践
- 日常的な支え合いの自発的展開
- 地域文化の自律的継承と創造
自己責任的評価者としの役割
- 支援の効果を生活実感に基づいて自己評価
- サービスの使いやすさを利用者として自己判断
- 地域の変化を住民として自己確認し意味づけ
これらの役割は、すべて住民の主体性(自己決定・自己責任)に基づいています。
専門職の固有の強み
一方、専門職にも住民にはない独自の強みがあります
1. 専門知識
- 福祉制度の体系的理解
- 支援技法の専門的習得
- 理論に基づく課題分析
2. 客観性
- 地域外部者としての冷静な視点
- 複数地域の比較による相対的理解
- 感情に流されない状況判断
3. 制度的資源
- 公的サービスとの連携
- 関係機関との調整
- 予算や制度の活用
4. 技術
- 会議運営や合意形成の技法
- 組織化やネットワーク構築の方法
- アセスメントや計画策定のスキル
専門職の役割と機能
これらの強みを活かして、専門職は以下のような役割を果たします
調整者としての役割
- 制度・サービスとの調整
- 関係機関との連携
- 利害対立の調整
支援者としての役割
- 住民活動の技術的支援
- 専門的課題への対応
- 住民のエンパワメント
媒介者としての役割
- 地域と外部資源のつなぎ
- 住民と制度の架橋
- 異なる立場の人々の対話促進
望ましい協働のあり方
中心概念としての「住民の利益(幸福)」と住民主体性の保障
住民と専門職の協働において最も重要なのは、共通の目標を持つことです。その中心に位置すべきなのが「住民の利益(幸福)」という概念ですが、この概念を考える際には住民の主体性保障が前提となります。
「住民の利益」を誰が定義するのかという問題があります
住民主体的アプローチ: 住民自身が自分たちの価値観と判断基準で「何が自分たちの利益・幸福なのか」を定義し、決定する
専門職主導的アプローチ(客体化): 専門職が専門的知見に基づいて「住民にとって何が利益・幸福なのか」を判断し、住民に提示する
真の住民主体を確保するためには、前者のアプローチが不可欠です。
複層的利益の住民主体的調整:
住民の利益は複層的で、時として対立します:
- 個人レベル:それぞれの住民の個別のニーズや希望
- 家族レベル:家族全体としての利益や負担の分担
- 近隣レベル:直接的に関わり合う住民同士の利益
- 地域レベル:地域全体としての長期的利益
重要なのは、これらの利益調整を住民自身が主体的に行うことです。専門職の役割は、住民がこの調整を適切に行えるよう情報提供や対話促進の支援をすることであって、専門職が代わりに調整することではありません。
相互性(reciprocity)と主体性の相互尊重
真の協働関係において重要なのは、一方的な支援関係ではなく、互いの主体性を尊重し合いながら、相互に学び合い、影響し合う関係性です。
住民から専門職への主体的提供
- 住民が自らの経験と判断に基づく生活の知恵や工夫
- 地域への愛着に基づく歴史や文化の共有
- 当事者としての課題理解と解決アイデアの提案
- インフォーマルな支援方法の実践例
専門職から住民への支援的提供:
- 住民が求めた時の制度や理論の情報
- 住民が参考にしたい他地域での実践例
- 住民が必要とする専門的技法の紹介
- 住民の判断を支援する客観的な分析視点
この相互学習において重要なのは、住民の主体性が常に尊重されることです。専門職は住民が「求めた時に」「住民が判断できる形で」「住民の選択を支援する目的で」情報や技術を提供するのであって、専門職の判断を住民に受け入れさせることではありません。
対等性の確保と主体性の尊重
協働において最も注意すべきなのは、住民の主体性を損なう上下関係に陥ることです。しばしば以下のような関係になりがちです
専門職上位型(住民客体化)
- 専門職が知識を持ち、住民に教える関係
- 住民は「学ぶべき存在」として位置づけられる
- 住民の判断より専門職の判断が優先される
住民上位型(専門職の過度な遠慮)
- 住民が当事者で、専門職は外部者として過度に遠慮する関係
- 専門職は住民のニーズがあっても支援を控える
- 結果として住民が孤立し、主体性発揮が困難になる
いずれも真の協働とは言えません。重要なのは、住民の主体性を最大限尊重しながら、専門職も自らの専門性を適切に発揮できる対等な関係です。
対等性の本質: 住民は「地域と生活の主体者」として、専門職は「制度と技術の専門家」として、それぞれの領域で主体性を発揮し、互いの主体性を尊重し合う関係
深刻な構造的問題:住民の客体化リスク
専門職主導の課題設定の危険性
現在の地域福祉実践で最も深刻な問題の一つが、住民の客体化です。これは以下のようなプロセスで生じます:
- 専門職が個別支援で課題を発見
- それを「地域生活課題」として一般化
- 住民に課題を提示し、解決への協力を求める
- 住民が「動員される存在」になる
住民から見た「地域生活課題」の違和感
専門職が抽出した地域生活課題の多くは、制度の狭間や政策的な課題です。
例えば
- 「8050問題」
- 「ヤングケアラー問題」
- 「地域包括ケアシステム構築の必要性」
- 「重層的支援体制の整備」
これらは確かに重要な課題ですが、住民の日常的な困りごととは言葉も発想も大きく異なります。住民からすると
「それは国や自治体が考えるべき問題では?」 「私たちには関係ないのでは?」 「専門的すぎてよくわからない」
という反応になりがちです。
真の住民主体とは何か
真の住民主体とは、住民が専門職の設定した課題に協力することではありません。住民が自分たちの意志に基づいて、自分たちの言葉で、自分たちの方法で、自分たちの責任において地域の課題に取り組むことです。
住民主体の本質的要素
- 自己決定性:住民が自らの意志で判断・決定する
- 自己定義性:住民が自らの言葉で課題や解決方法を定義する
- 自己責任性:住民が自らの選択の結果に責任を持つ
- 自己評価性:住民が自らの基準で成果を評価する
住民客体化との明確な区別
- 住民主体:住民が判断・決定・行動の主導権を持つ
- 住民客体化:住民が専門職の判断・決定に基づいて行動する(たとえ「参加」していても)
住民起点の課題発見プロセス
- 住民が日常生活で感じる困りごとから出発
- 住民同士の対話で共通する困りごとを発見
- 住民なりの言葉で課題を整理・定義
- 住民ができることから解決方法を検討
- 住民が必要と判断した場合に専門職に協力を求める
- 住民が自らの満足度で取り組みを評価
この順序こそが住民主体性を保障する鍵です。専門職はこのプロセスを「支援」することはできますが、「主導」してはなりません。
仮説:各段階での相互補完関係と住民主体性保障
従来モデルの問題:住民主体性の段階的剥奪
従来の段階的移行モデルでは
- 初期:専門職主導(住民は受動的、客体的立場)
- 中期:専門職と住民の協働(住民の主体性が徐々に向上)
- 後期:住民主導(専門職は撤退、住民が主体的立場に)
という発展を想定していましたと思われます。しかし、このモデルには住民主体性の観点から重大な問題があります
初期段階での住民客体化: 最初から住民を「支援される存在」「指導される存在」として位置づけることで、住民の主体性発揮の機会を奪ってしまう
段階的移行の困難性: 一度客体的な関係で始まった住民と専門職の関係を、後から主体的な関係に転換することは非常に困難
専門職撤退の非現実性: 住民だけでは対応できない専門的課題や制度的調整が常に存在するため、専門職の完全撤退は現実的ではない
仮説の提示
住民主体性とコミュニティソーシャルワークは、段階によって強弱が変わるのではなく、各発達段階において住民の完全な主体性を保障しつつ、専門職もそれぞれ重要な役割を果たし、相互に学び合い、影響し合う関係性を構築する。
つまり:
すべての段階で住民主体性を最優先:
- 初期段階:住民が自分たちの困りごとから課題を発見し、専門職は求められた時に情報や技術を提供
- 発展段階:住民が主体的に活動を展開し、専門職は住民の判断を支援する専門的対応を実施
- 成熟段階:住民が地域運営を主導し、専門職は変化する環境への対応を専門的に支援
すべての段階で住民の主体性は最大限保障され、専門職の専門性も適切に発揮される構造です。
このモデルの特徴と利点
1. 住民主体性の一貫保障 どの段階でも住民が「自分で決める立場」であり続け、客体化されない
2. 持続可能性の実現 専門職の撤退を前提としないため、長期的に安定した支援体制を維持できる
3. 相互専門性の活用 各段階で住民の生活専門性と専門職の技術専門性を最大限活用できる
4. 関係性の質的向上 一方的な支援関係ではなく、相互尊重に基づく対等な協働関係を構築できる
5. 地域包摂力の向上 個別問題の解決にとどまらず、地域全体が多様性を受け入れ、支え合う力を向上させることができる
まとめ:対立から協働へ、客体化から主体性保障へ
住民主体とコミュニティソーシャルワークは、決して対立する概念ではありません。むしろ、住民の完全な主体性保障を前提として、「住民の利益(幸福)」という共通目標の下で、互いの専門性を活かしながら相互補完的に機能する関係こそが理想です。
ただし、この協働を実現するためには、従来の実践で見過ごされてきた住民の客体化リスクを根本的に解決する必要があります。
協働実現のための5つの原則
- 住民主体性の最優先保障 住民が「自分で決める立場」であることを全段階を通じて保障し、専門職主導による住民客体化を防ぐ
- 制度理解の適正化 制度は本来、個別支援と地域支援の双方向性を想定していることを正しく理解し、一方向的な運用を避ける
- 位相転換問題の解決 個別課題から地域課題への転換過程で生じる住民の客体化を防ぎ、住民起点の課題発見プロセスを確立する
- 対等なパートナーシップの構築 住民と専門職が上下関係ではなく、それぞれの領域での主体性を相互尊重する対等な関係を構築する
- 継続的な主体性確認 活動の展開過程で住民の主体性が損なわれていないかを継続的にチェックし、客体化の兆候があれば即座に修正する
住民主体性保障の意義
住民の主体性(自分で決める立場)を保障することは、単なる理念ではありません。それは:
- 持続可能な地域づくり:住民が自らの意志で関わり続ける基盤
- 創造的な解決策:住民の自由な発想による革新的なアプローチ
- 真の満足度:自分で決めたことによる深い満足と責任感
- 民主的な地域社会:住民一人一人の意思が尊重される社会の実現
につながる重要な要素です。
次の課題:具体的な実践モデルの構築
この理念を現実の地域福祉実践で具体化するためには、住民の主体性を保障しながら、専門職も適切にその専門性を発揮できる具体的な連携システムが必要です。
次回の後編では、この理念を実現するための「機能分化型包括連携モデル」について詳しく論じます。このモデルでは、住民の主体性を最大限保障しながら、専門職間の適切な連携により包括的な支援を実現する方法を提案します。
住民主体性の保障について、現場の皆さんの体験や課題もお聞かせください。一緒に真の住民主体を実現する方法を考えていきましょう。
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