【扶養照会】生活保護のヒミツ【ミーンズテスト】

専門職向け

皆さんこんにちは!

皆さんは生活保護制度に関わることはあるでしょうか?

福祉の現場で働いている、生活保護世帯の方の支援に携わる方も多いのではないでしょうか?

我が国では、欧米諸国でソーシャルワークが提唱されてきたころから様々な形で、理論等が持ち込まれ徐々に定着してきました。生活保護制度について、さまざな変遷を得ながら、社会福祉主事など福祉の専門的教育を受けてきた方が本当にちょっとづつ行政に入ることでケースワークを行うことから、職務についている方をケースワーカーと呼ぶようになっています。

最近では、対象者の多いことからケースワーク?になっているかもしれませんが、それは現場で働いている方が悪いのではなく、状況に社会や制度が適応していないからだと思っています。

今日は、そんな生活保護について歴史も抑えたうえでちょっと考えていきたいと思います。

我が国の福祉制度の歴史(超簡単version)

興味のない人は次の項目まで飛ばしてもOKです!

明治維新以前の高齢者福祉制度は一般救貧施策の一部でしかありませんでした。

救済の基本は家族等による相互扶助です。近親者がいないものには近隣など地域の生活共同体による救済が義務付けれていました。

明治維新後、我が国は近代国家を目指すことになり制度化された救貧として、恤救規則を制定します。ただし、その本質は「無告の窮民」対象とするような維新前と思想は変わっておらず救貧施策としても貧弱でした。

その背景には日本固有の「家制度」が色濃いと思われます。その後、初の老人施設である養老院の設立。恤救規則に代わる「救護法」「旧生活保護法」の改正など経て慈善事業から社会事業、そして社会福祉へと変化していきました。

老人福祉法が制定される以前の日本の高齢者福祉施策は、生活保護法に基づく養老施設への収容保護が中心であったが、高齢者の増加、高齢者の就労機会の減少など高齢者を取り巻く環境が変化したことを受けて、1963(昭和38)年、高齢者の心身の健康の保持や生活の安定を目的として老人福祉法が制定されています。

1970年代半ばまでは施設の整備に重点が置かれていたが、以降、在宅福祉への認識が高まり、在宅福祉施策の充実が図られるようになっています。

1990(平成2)年には、老人福祉法の一部が改正され、福祉サービスは住民に身近な市区町村において実施することを基本とする体制が整備され、、1990年代に入り、急速に高齢化が進展するとともに、認知症の高齢者が増加する一方、核家族化により、家族の介護機能が低下し、高齢者の介護が社会的な問題となってきたことから、高齢者介護を社会全体で支える仕組みとして、1997(平成9)年、介護保険法が制定され、2000(平成12)年4月から施行されることになりました。

こんな感じで、介護保険ができるまでの福祉とは基本困窮対策で、それもかなり自己責任や家族の責任が強調されるものでしたというお話です。

しかしですね、それは生活保護を理念である生存権を考えるとちょっと違うのではないかと思うのです。

生存権と生活保護

そもそも、生活保護とはどのような理念を持つものなのでしょうか?先ほどの歴史を振り返ると、「生存権」と深くかかわることがわかります。

憲法25条は生存権の保障について定めています。

思想・良心の自由(憲法19条)、信教の自由(20条)、表現の自由(21条)などの自由権は、こうした自由を保障するために、国などの権力が干渉することを禁止するものですが、生存権などの社会権は、これとは異なり、国などに積極的に施策を求めるものであると考えられています。

もともと、近代の憲法は自由権を保障するために作られ、発展してきた経緯がありますが、資本主義が発達する中で、自由権を保障するだけでは、本来の意味で個人の自由や尊厳を守ることができないことが意識されるようになっています。

そして、日本国憲法が制定されるにあたり、個人の尊厳(憲法13条)を確保するために、生存権が人権として保障されたのです。

憲法25条については、日本国憲法が制定された当初には、国に対する政治的・道徳的な努力義務を課したもので、個々の国民に権利を保障したものではないという考え方もありました。

しかし、それでは、憲法が生存権保障について定めた意味がなく、今日ではそのような考え方は姿を消し、生存権は憲法が保障した人権となっています。

このように、憲法25条の生存権保障を最終的に担保するために設けられているのが生活保護制度であると考えることができます。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が具体化されたのが、厚生労働大臣が定める生活保護基準という形ですね。

この生活保護基準は、最低賃金や地方税の非課税基準、国民健康保険の保険料・一部負担金の減免基準、介護保険の保険料・利用料の減額基準、障害者自立支援法による利用料の減額基準、就学援助の給付対象基準など様々な制度とも連動しています。

生活保護法の第 1 条では

「この法律は,日本国憲法第 25 条に規定する理念に基き,国が生活に困窮するすべての国民に対し,その困窮の程度に応じ,必要な保護を行い,その最低限度の生活を保障するとともに,その自立を助長することを目的とする」

という文言が明記されていることから,当然,生活保護の水準は健康で文化的な水準であることが求められていると言えます。

このように,わが国における生存権は単に生命の維持のみを目的としているのではなく「人間らしく生きる権利」を保障しているという認識が重要であると考えられます!

さて、ではこの「人間らしく」というはどういう状態を指すのでしょうか?

私なりの「人間らしく」の定義を考えると、それは「自分で決める」という意味での「自立」であると思っています。

それでは、今度は生活保護制度における自立の考え方をご紹介します!

生活保護制度における自立の考え方

私としては、生活保護法策定時の「自立」や「自立助長」の理念とは、本来は人間の尊厳を含む生存権は最低生活の保障によってのみ行われるのではなく、人が人として社会との関りを自らが決定し行動し充足感を得るなどの人間関係等の中で、「自分で決める、自己決定ができる「自立」として達成されるべきものであると考えます。

しかし、生活保護法策定時には明治・大正以来の怠惰者を救済の対象としない欠格条項に代わる文言として「自立」「自立の助長」が想定され、公的救済への依存からの脱却をもって,それを第一義的に「自立」とみなす消極的自立論による捉えに留まっていました。

これは、生活保護法が経済的な要件のみを主眼とした社会保障制度のみではなく、社会福祉的な考えからなる制度としては不十分であると言えますよね。

社会福祉領域で用いられる自立概念は、できるだけ自分自身が自主的に選択し、物事を決定していく自立と同義で用いられていると私は考えます。

近年までは自立に関する国による統一的な見解や定義がなかった為、平成16年の「生活保護制度の在り方に関する専門委員会 報告書」では、制度見直しの基本的視点として、社会福祉法の基本理念をふまえた「①経済的自立」「②日常生活自立」「③社会生活自立」という3つの自立の考えが示されました。

これらは「平成17年度における自立支援プログラムの基本方針について」において定義づけされております。

経済的自立とは、就労による経済的自立等を意味し、これまで述べた消極的自立論における、公的救済への依存からの脱却を意味するものです。

これに対して、②日常生活自立とは、身体や精神の健康を回復・維持し、自分で自分の健康・生活管理を行うなど日常生活において自立した生活を送ることが想定されています。

さらに、③社会生活自立では、社会的なつながりを回復・維持し、地域社会の一員として充実した生活を送ることとされている。このように、生活保護法における自立とは、経済的な側面での自立だけではなく、上記の①~③の全ての要素があり、人間としての尊厳が確保されるものであると言えるでしょう!

そのため、生活保護法における「自立の助長」とは社会福祉の理念にあるように、『保護世帯が心身共に健やかに育成され,又はその有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるように支援するもの』を意味すると考えられますね。

「生活保護受給者に対する就労支援のあり方に関する研究会(第5回)(平成30年11月30日)参考資料1」によると

「就労による経済的自立のための支援 (就労自立支援) のみならず、それぞれの被保護者の能力やその抱える問題等に応じ, 身体や精神の健康を回復・維持し, 自分で自分の健康・生活管理を行うなど日常生活において自立した生活を送るための支援 (日常生活自立支援) や, 社会的なつながりを回復・維持するなど社会生活における自立の支援 (社会生活自立支援) をも含むものである」

とされています。

しかし、「平成17年度における自立支援プログラムの基本方針について」に見られる、地方自治法の規定による技術的助言としての「自立支援プログラム」の運用において、先に3種類あげられた 「自立支援」 は並置されるものではなく, 「就労自立支援」 にもっとも力点が置かれている実情があると考えられます。

これまで述べたように、生活保護制度は日本国憲法第25条に規定する生存権を最終的に保障するものである。 そのため、「①経済的自立」「②日常生活自立」「③社会生活自立」という3つの自立の存在が謳われています。

しかし、保護世帯の昨今における生活課題は実に多様であり解決が難しいケースもたくさんあります。そのため、これらは実務においては並列されるものではなく、経済的自立を最終目標とした段階的な自立として捉える必要があると私は考えます。

つまり、まずは「自分で決める」自立です。お金が無いから何も選択できないということを保護することによって回避するのですね!

次に、日常生活の自立です。医療や介護サービスを利用してしっかりと生活を立て直します。

更に、社会的な自立として、繋がりを回復します。就労するとは言えないまでも、少しずつコミュニティに参加するなど、ソーシャルサポートの構築が必要になります。これは、今後何らかの困りごとが起きた時に自己解決能力や就労等社会へ参加していくときに、しんどい時の居場所となっていきます。さらに、それだけではなく同じく境遇の人を励ますとなど、仲間の役に立つという自己効力感を得る場になる可能性も秘めています。ここが飛ばされるから、うまいこと行かないのだといつも思います!

そして、最後に就労などを継続することによる経済的自立であると思います。

生活保護のケースワーカーさんは忙しすぎて多分こんなに丁寧にやっている暇がないから、自立が上手くいかないんでしょうな

そこで、ちょっとでも生活保護における生存権の保障や自立が達成できるように私から提案です!

生活保護制度における扶養照会は無くせないの?

近年では、社会構造の変化から正規職労働者と生活保護受給者の『狭間』に多数存在する非正規労働者やワーキングプア層が社会問題となっています。

我が国のセーフティネットにおいて、このような層は生活保護の支給対象外あるいは、本来支給対象となるはずではあるが支給されていない現状があるといわれています。このような原因の一端に扶養照会があると思われます。

扶養照会は、扶養義務を根拠として、生活保護申請者、申請者の3親等内の親族に対して行われてきました。

しかし現実的にはこの照会によって、経済的援助が行われる事例は1%に達しないそうです。

そもそも、援助が可能な「関係性」「経済的基盤」あれば、生活保護申請を行わざる得ない状況にはなりにくいでしょう。

また、生活保護を必要としている本人にとっては、申請すると扶養照会が行われることは、大きな障壁であり、申請意思を妨げる要因に十分になり得ます。

2021年3月30日に「本人が拒否すれば扶養照会を行わなくてもよい」という旨の通知がでていますが、これまでの慣習、精神的援助についての親族への確認、親族への照会を拒む理由の聞き取りの必要などから親族への扶養照会と同様の事務が行われることは想像に難くないですね。市役所ですし。

近年では、核家族化などによって家族のきずなが薄れ、正規職労働者と生活保護受給者の『狭間』に多数存在する現代では「扶養照会」そのものが時代にそぐわないものになっていると考えられます。

我が国では、歴史的に性別役割分業を背景とする「家制度」が特徴として存在したが、戦後に「家制度」が廃止され、高度経済成長期を経て女性の社会進出なども推進されてきた経緯から「家」という概念はすでに廃れています。

最近では、人口構造の変化から核家族化以上に1人世帯の増加がみられ、家族間での経済的援助という概念自体が薄れつつあることが「扶養照会」が形骸化していると考えられます。一言でいうと「家族が扶養するのは時代遅れ」ということです。

そのため、扶養照会については、やめて見ると少し申請受付事務などが円滑に行えたりしないでしょうか?そして、負担が少なくなった分、自立に向けたソーシャルワークをしっかり展開するといいと思いませんか?

つまり、私の提案は申請事務等を可能な限り簡略化し生活保護CWをソーシャルワーク専門職が行うということです。

更にこれだけでは、不正受給が増えちゃうのでミーンズテストについてもご提案です。

資産調査はどうせ最低生活費を下回るかどうかなので、申請時は機械に任せましょう

貧困には「絶対的貧困」と「相対的貧困」の2種類があり、我が国の貧困は「相対的貧困」に当たります。

相対的貧困とは国の生活水準や文化水準と比較して困窮だと判断された状態あります。

我が国では、このような困窮に対して生活保護法を代表とする公的扶助制度を整備されてきたことはこれまでも述べました。

公的扶助制度とは、「例外的な困窮に対処し貧窮を軽減しうるように、所得および資産の調査(ミーンズテスト)にもとづいて金銭給付を提供する制度」です。そのため、生活保護にはこれまで厳密な資産調査、扶養義務者への確認などが行われてきた経緯があったんですね。

このように我が国の「最後の拠り所」である公的扶助制度の代表ともいえる生活保護制度はその根本にミーンズテストなどによって、例外的に困窮していると認められることが必要となっており、「所得および資産の調査」を経たうえで給付される“事後的救済”(「救貧」)と言えます。

そして、その財源が全額公費(税金)であること、が「所得および資産の調査」を行う根拠となっています。

しかし、国内の経済成長の停滞している現在では、高度経済成長期の様に毎年のように国民の平均年収が上がっていくような経済成長が見られなくなっています。

ここ10年程度を見ても、平均年収は下がりこそしていないものの、上がってはいません。つまり、社会保障制度があってもそれをすり抜けてセーフティネットまで来てしまう人が、それだけ増えているということです。これは、もう個人の責任ではなく、資本主義社会の構造の問題とバブルの時に円高ドル安へ誘導したのが悪かったのだと思います。

セーフティネットへ来てしまう人が社会構造上今後も増えると考えると、このミーンズテストも最低生活費を下回るかどうかという基準だけで考えると、ある程度の自己申告と必要書類で機械的に判断して、事務負担を軽減してはどうかと思います不正受給に関しては、必要なソーシャルワークの展開を専門的な知見を持ったCWが行うことで発見は容易となると考えます。

なので、最終的に私からのご提案とは

①不要な扶養照会の取りやめとミーンズテストの自動化、機械化 ②事務の簡略化を行うことによってできた余裕を自立に向けたソーシャルワークへ回す。 ③CWをソーシャルワーク専門職が行う(アウトソーシングにあらずあくまで地方自治体の責任で)

ということになります。

最後に

いかがだったでしょうか?

今回は生活保護について色々と考えてみました!

日々感じていることを私なりに言葉にしてみましたがどうでしょうかね?なんとなく乱暴なことを言っている自覚はあるのですが、皆さんはどう感じられるでしょうか?

コメント等いただけると嬉しいです!

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