皆さん、こんにちは!
今日は、最近の福祉業界では話題になっている「地域共生社会」と「地域包括ケア」について、整理してみたいと思います。
というのも、重層的支援体制整備事業も始まり現在は過渡期といえますが、そもそも経緯というか流れが抑えられていないと「なんのために」重層をするのか?なぜ、多機関協働と参加支援と地域づくりを一体として行う必要があるのか?など、現場で混乱をきたすことになるのではないかと考えたからです。
頑張って調べたつもりですが、間違ってたらすいません。
地域包括ケアの始まりは広島県御調町(現在は尾道市)の公立みつぎ総合病院での実践です。
「地域包括ケアシステム」の原点は、広島県御調町(現在は尾道市)にある国保病院(現在の公立みつぎ総合病院)にあります。
1970年代には、何らかの手術後にリハビリを受けて退院した患者が、在宅復帰後に寝たきり状態になるという実態がありました。
これを防ぐためにみつぎ病院では「出前医療」を行い、退院後のリハビリ等のフォローを始め、寝たきりを防止しようという取り組みがきっかけとなりました。これが1975年くらいのことです。
昭和59年には、当時のみつぎ病院に健康管理センターを併設し、御調町の保健と福祉に関する行政部門を病院長の元で一元的に管理運営をするようになり、その後 さらに介護施設、福祉施設等を順次病院に併設して、「地域包括ケアシステム」といえる体制が整いました。
このような体制を制度化したのが、地域包括ケアシステムと言えるでしょう!
地域包括ケアの変遷
2000年 介護保険制度がスタート
社会保険は医療保険、年金保険、労働者災害補償保険(労災)、雇用保険があり、介護保険は5つ目の社会保険として始まっています。
その背景は、よく言われることですが「介護が必要な高齢者の増加」「介護する期間の長期化」「核家族化による家族介護力の低下」です。
これらにより、これまで家族の中で行われていた介護が社会化される必要があり、介護保険ができる事になったのです。
当初、介護保険は増大した医療保険料の抑制への対処として見込まれており、慢性疾患者を在宅介護サービスで予防する、あるいは支えることで入院患者を減らすという、医療と介護への統合が目指されることになります。
これについては、前述したみつぎ病院での実践で目指された「退院後のフォローによる再入院の抑止、防止」「高齢者の寝たきり防止」が制度として目指されていることも事実ですが、先ほど述べた「医療費を抑える」という目的の方が当時はクローズアップされていたような気がします。
地域包括ケアが最初に提唱されたのは『2015年の高齢者介護』(高齢者介護研究会)です(2003年)
厚生労働省の私的検討会である、『2015年の高齢者介護』(高齢者介護研究会)において、医療と介護に加え生活支援の必要性、医療、介護、生活支援の連携=地域包括ケアシステムの概念が提唱されています。
2005年 介護保険の見直しによって地域包括支援センターの設置が定められます。
地域包括支援センターの前身である「在宅介護支援センター」は、1989年の『高齢者保健福祉推進十か年戦略』(通称:ゴールドプラン)により、高齢者の在宅福祉や施設福祉の基盤整備の一環として、高齢者やその家族が身近なところで専門職による相談・援助が受けられるように全国的に整備されました。
その後、2005年の介護保険の見直しにより、地域包括ケアの体制を支える地域の中核機関として、新たに「地域包括支援センター」の設置が定められました。地域包括支援センターの設置主体は市町村ですが、在宅介護支援センターを運営していた社会福祉法人や医療法人等の市町村から委託を受けた法人も設置することが可能となっています。
このように、多くの市町村で整備が進んでいた在宅介護支援センターがそのまま地域包括支援センターへ移行、あるいは再編される形で整備が進む形になります。
この後は地域包括ケア研究会が立ち上がり、徐々に地域包括ケアが今の形になってきます。(2008年)
地域包括ケア研究会 第一回(2009年)
第1回報告書では居住環境の重要性を指摘し、「高齢者介護研究会」では検討されていなかった「住宅サービス」を新たに加えられることになります。
地域包括ケア研究会 第二回(2010年)
第2回報告書では、「在宅サービスが優先であって、施設サービスは補完的なもの」「在宅での生活継続がどうしても困難な場合にはじめて施設を利用するというのが原則」「施設を一元化して最終的に住宅として位置づけ」と施設の限界をはっきりと明記されています。
また、1982年にデンマークで提唱された高齢者ケアの3原則が、日本の3原則として記されることになりました。
3原則とは、「本人の選択」「住み慣れた地位や住宅での生活の継続」「自己(残存)能力の活用」
地域包括ケア研究会 第三回(2013年)
この回でようやく、皆さんもみたことある植木鉢がでてきます。、看護やリハビリ、福祉サービス、保健、住まい方などが加わって重層化した ものですね。
地域包括ケア研究会 第四目(2014年)
この回で登場したのは「地域ケア会議」であり「規範的統合」という概念です。
これにより、保険者としての自治体のリーダーシップが強く強調されることになりました。
規範的統合とは、「自治体が進める地域包括ケアの基本方針が、地域内の専門職や関係者に共有される状態」のこと、つまり情報共有ということですね!
地域包括ケア研究会 第五回(2016年)
植木鉢が最初のものからちょっとづつ変わっていることにお気づきの方も多いと思います。
この回では「介護予防」が、専門職が担う「葉」から地域住民が主役となる「土」に移されています
第4回報告書で盛り込んだ「自治体への期待」が、第5回報告書では「地域ケアマネジメント」という新語でさらに強調されています。
地域マネジメントとは「自治体が課題を分析して目標を掲げ、具体的な計画を練り、評価と見直しを繰り返す」ことになります。
地域包括ケア研究会 第六回(2017年)
このころにには、すでに地域共生社会の実現について概念が出てきており、完全に地域包括ケアの上位概念となっています。
そのため、従来の縦割り行政を改め、年齢や高齢・障害・貧困などの分野を問わずに誰でもが「共生」を目指し全体を見通しながら取り組むということが盛り込まれています。
これにより、高齢者に限定した「地域包括ケア」の考え方が一変せざるを得なったのでした。
まとめ
みつぎ病院での実践から始まった「地域包括ケア」ですが、当初は慢性疾患患者を病院から在宅でフォローし、再入院を抑制する、そして、寝たきりを防止するということが目的でした。この目的を達成するために、医療と介護の連携が高齢者が住んでいる地域の中でシステム化される必要があったのですね。これが当初の地域包括ケアシステムです。
次に、ちゃんと言葉として地域包括ケアシステムが出てきたのは、2003年の高齢者介護検討会です。このころには、どうやら医療と介護が連携して退院後のフォローしていても、閉じこもりによる寝たきり高齢者が増加していき、どうやら「生活介護」も在宅では必要だということがいわれています。これが、介護保険制度に盛り込まれていきます。
そして、2005年には介護保険法が見直され地域包括支援センターの設置が定められます。
ここから先は、地域包括ケア研究会の項で書いた通り、徐々に「植木鉢」が今の姿になり、最後に地域共生社会の影響を受けることで、「高齢者に限らない」ということがでてきいます。
このように、経緯から地域包括ケアを考えるとその目的はよく聞く「住み慣れた~云々かんぬん」ということもあるんですが、少なくとも2016年までは、基本的には在宅での医療と介護の統合された提供体制であって、これを医療機関の状況等に合わせて組み立てましょう!そして、医療が必要ないように地域の中でセラピスト等専門職関わって予防をしていきましょうというものだったのですね!これは、今現在も変わっておらず、地域包括支援センターを中心に事業として展開されているという感じです。
ややこしくなるのは、この先からです!
この後は更に地域共生社会関係の検討にシフトしていくわけですが、これは次回に詳細をまとめていきたいと思います!
終わりに
いかがだったでしょうか?
今回は、地域共生社会の手前までの「地域包括ケア」の変遷について、主に厚労省のでの検討やそれが法制化されたポイントを時系列でおって整理してみました。
まとめてみて改めて思ったのですが、これって本当に行政の人は理解しているのでしょうか?というか、ずっと包括にいた私もちょっと当時を思い出すと毎年毎年いろんなことが起こっていて大混乱だった記憶しかありません!(今もずっと混乱が続いていますが・・・・(´;ω;`))
それなりに、地域包括ケアについて業務のこともあったので関連する検討会や法令について読んでいたつもりなのですが、かなりこれまでしていた理解と違う部分もありました(私の能力不足もありますが・・・)
ちゃんと理解していなかったのって私だけだったらどうしよう((((;゚Д゚))))ガクガクブルブルと、記事を書いて恐怖に駆られています!
皆さんはいかがでしょうか?コメントいただけると嬉しいです!
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